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酷暑の夏をくぐり抜けて、蛍の光は天に昇る。 [おくすりばこ]

父の訃報を受けて、夜中だけれども、浜松の業者に電話をする。
袋井の施設から、浜松の会館まで、直送して欲しいこと、
セレモニーまでの間も、父と家族を滞在させて欲しいこと、
お通夜から葬儀まで、どちらも椅子席の会場でやらせて欲しいこと、など
こちらの希望を話し、先方の空き具合を聞く。

三線おやじの時もそうだったが、今回も自宅には立ち寄らない。
「家に帰るのは、骨になってからでいい」
これは、三線おやじのセリフだったが、その通りにすることで、
私はかなり体力を温存させてもらった。
今年の夏は、たまらない酷暑だ。
エアコンが壊れている実家で、父が数日過ごすことは難しい。

夜中にもかかわらず連絡したからなのか、意外にも、
部屋も、セレモニーをする会場も、希望どおりのところが取れた。
お寺さんの予定さえよければ、斎場も大丈夫らしい。

お通夜は5日、葬儀は6日になった。
図らずも、友人のお父様と同じ日程になった。
翌日、友人に連絡をして、行けないことを侘び、
お互いに自分ちのことをがんばることにした。
気持ちは、よく、わかるよ!

三線おやじの時もそうだったが、
今回も、9/4(土)が友引だったので、1日準備に余裕ができた。
買い物のついでに、CDショップにより、「蛍の光」が入ったCDを買った。

7/14(水)に姉と父の所に行ったとき、父は、何かを口ずさんでいた。
「何か、歌っているよ」
「何の曲?」
「…、ふみ~よむつき~ひ、かさ~ねつ~つ、い~つしかとし~も、過ぎ~のとを~、…」
「これって『蛍の光』?」
帰りの車で、姉と2人で、
「明日死んじゃったら、すごいよね~」
(すみません。我々はすごくブラックな奴らです。)
でも死ななかった。
「やはり、若ちゃはタフだね!」と言っていた。

結局、姉と私が、生きている父と会ったのは、それが最後だった。
本人にその気があったかどうかは別として、
「蛍の光」が別れの曲になったのだった。

0909_2.jpg

この曲を、セレモニーのどこかで掛けてあげたいと思った。


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